【取材】上沼恵美子さん「もう一回だけ抱きしめたい」愛犬ベベとの12年間
運命の子はぼくらのもとにやってきて、流れ星のように去ってしまった。
その悲しみを語ることはなかなかむずかしい。
けれども、ぼくらはそのことについて考えたいし、泣き出しそうな飼い主さんを目の前にして、ほんのすこしでも寄り添いたいと思う。
その悲しみをいますぐ解消することはできないが、話をきいて、泣いたり笑ったりするのもいいだろう。
こんな子だった、こんなにいい子だった、ほんとうに愛していたと。
ぼくらは上沼恵美子さんのご自宅へ伺って、お話をきこうと思った。
愛犬たちの水彩画
上沼さんのご自宅の玄関をくぐる。
その日はとても日差しが強かったが、リビングはとても清涼な空気が流れていて、これはただ空調のおかげというわけでもないようだった。
テーブルにはこれまで上沼さんが暮らしてきた愛犬たちのイラストが所狭しと陳列されていて、この子たちがまだそこにいるかのような雰囲気。
上沼さんご自身が描いた、わが子たちの水彩画。
柔らかいのに大胆な筆致は、たぶん犬たちを愛してきた彼女の気持ちがあらわれたものだ。
あたりを漂うこの清涼感も、いまだに愛する犬たちがこの家を快適に思っているからなのかもしれない。
「べべが亡くなって、すぐに仕事があったんです。でも、行けませんでした。ほんとうにこれはもう、なんというか経験したことがないとわからないようなことで…たとえばたかが犬如きのことで、みたいに言う方もいるでしょうけど。こんなん悪いですけど、親が亡くなったときより悲しいです。親はね、言っても順番やなってことで納得はできるけれど」
上沼さんはそう言って、べべちゃんが描かれた可愛らしい姿の絵を見た。
「私の場合、五年前から夫婦で別居してるんですね。あ、仲は悪くないですよ。週末などは主人が来てるんですけども。でもいつもこの家で、わたし一人だけなんです。だから、べべはまったくもって私の犬だったんですね。だからよけいに悲しい」
ぼくは、そうですよね、つらいですよね、としか言えずにいた。
「もともと腸が悪くて貧血になって、輸血したりして、それでも結局は死んでしまうんですけれども…。夜中に三回くらいトイレに起きて、なんやもう、なんてべべとおしゃべりしながら、あの子もすみませんみたいな顔しておしり拭いてもらって、また一緒にベッドに入って。それをずっとやってきましたんでね、いま、夜がつらい。いまでも夜中に起きてしまうくらいで」
ぼくはここでようやく自分の話をはじめる。
うちの子も亡くなってしまったこと、それがとてもつらかったこと、いつかこのときが来ることはわかってはいたけれど、それでも受け入れがたい現実だったこと。
そして取材スタッフも、ひととおりそうした経験を語り合う。
「みなさん、そうだったんですね!」
上沼さんの表情がすこしだけ変わったように感じた。
ベベじゃなきゃ駄目なんです
「うん、ほんとうにべべ以外はもういらないんですよ。ベベじゃなきゃ駄目なんです。わかってたんです、亡くなる半年ぐらい前からこの子がいなくなったらおかしくなるんだろうなあって。かなり覚悟を決めて心をちゃんと持っていってたんですけどね。でも、見事な亡くなり方でしたよ」
上沼さんはそう話す。
そう、亡くなり方だって、とても大切なことなのだ。
だってぼくらは思い出す。
どうしても思い出してしまうものだから。
「動物病院の先生のワンちゃん、ゴールデンレトリーバーの子から輸血を受けました。ほんとうにありがたかったですね。でも、その甲斐むなしく…べべは次の日の早朝に逝ってしまいました。わたしの腕の中で」
腕の中で。
「でも死ぬと思ってなかったんですよ。ぜんぜん死ぬなんて思ってなかったんですけども、ちゃんと死にました。抱っこして、最後はどんどん息が荒くなりましたね。唇がぶるぶるって震えて。やっぱり死んでいくのはエネルギーがいるし、しんどかったと思います。こうやって指で、唇の震えを抑えてあげるんですけども、もういいや、じゃあもう、もうじゅうぶんですよ。もう静かになりましょうって言って、こうしてたらゆっくりと心臓が止まる前に、んーって笑った」
最後に、笑った。
「それで『ありがとう』って言ってくれたと私は勝手に思って。あまり表情を変える子じゃなかったんですけどね。明らかにそのときは変わりましたから」
指が覚えている
「ただね、べべが亡くなったのが12歳。よくがんばりましたよね。きょうだいの中でもいちばん小さい子だったんです。で、やっぱり腸のほうがよくないみたいで、8年くらいしか生きられないだろうって。そうしたらほんとうに8歳で死にかけたんですよ。痙攣して、そのときも輸血してもらって、なんとかことなきを得た」
それから4年間も生きたのだ。
べべちゃんの生命力はもちろんのこと、上沼さんの愛情が引き寄せた『生きる日々』。
それは宝物のような毎日だったことだろう。
「このなんというか…指が覚えていませんか?」
上沼さんがそう言って、ふと自分の指を見つめた。
「たとえば、耳を触ったときの感触。首。ほっぺの肌触り。可愛らしいしっぽをちょんちょんと触った、あの感じ。もう指が覚えてるもんだから厄介」
ぼくはうなずいて、自分の子のことを思う。
指が覚えている。
そしていまとなっては、その感触と思い出が、ぼくの宝物なのだ。
思い出の沖縄旅行
「ベベと一緒に沖縄旅行も行きました。あのころは元気でねえ…わたしたちもすこし若かったし。レンタカーを借りてあちこちまわろうっていうときに、べべの長いおしっこ。ああ、がまんしてたんだねえ、すごくかわいそうなんだけど、それがまた可愛くてね」
ぼくは深くうなずく。
長いおしっこや、コンビニで買いこんだ食事、ちょっとしたトラブル。
そんな旅の何気ない時間ばかりが印象に残っているのは、どうしてなんだろう。
いつの間にかかけがえのない記憶となり、いまでも心を焦がしている。
「行っておいてよかったなと思いますね。思い出ができるって、ほんとうにすばらしいことです」
上沼さんは晴れやかな表情を浮かべてそう言った。
「もう、犬に勝るものはないでしょ。ね? べべみたいな人間にあったことないですもん。計算がないんです。人間みたいに裏切らないし(笑)…もう、ほんとうにあんな子はいないよなあ…愛おしいです」
『いい子たんしてましたか?』という口癖
「ベベは、この家が好きだったんですね。買い物から帰ってきたら、いつも玄関マットの左寄りに座ってるんですよ。わたしも荷物置いたら、おやつ買ってきたからね、なんて声をかけて」
そこで上沼さんは一瞬息を飲みこんだ。
「でも、でも、いまは買い物から帰ってきても、いない。ただいまってドアを開けても、いませんよ。はい、いませんよね。死んじゃったんだよ、いないんだよ。やっぱりいないんです」
そう上沼さんがつぶやいたとき、そこにいた誰もがその光景を思い浮かべていたはずだ。
そして、その悲しみは、その感情はどこへいくのだろう、とぼくはぼんやりと頭の中で考えた。
せめてその気持ちを共有できる人に届けばいい。
めぐりめぐって、風みたいに天国の愛犬に届けば、もっといい。
おかあさんはこれだけあなたのことを愛していたと。
「『いい子たんしてましたか?』っていうのがわたしの口癖でした。べべ、いい子たんしてましたかって、帰ってきたら声をかけるんです。…この前その台詞を口にしたら、思わずぼろぼろって泣けてきて。ああ、もう言われへんなあ、って。これはベベだけに向けた台詞だから、もう言えないんですね」
それはきっと言葉の封印ではなく、その記憶を大切にするための手段なのだ。
『いい子たんしてましたか?』は消費されることなく、けれどもより強いワードとなってべべちゃんとの記憶を鮮やかにしてくれる。
満開の桜
「その先に、お寺があるんです。四季の花がきれいにお庭に咲いてるんですよ。べべと、春夏秋冬を味わわせてもらいました。最後はもう歩けなくなっていたんだけど、抱っこして、桜を見ました。あ、まだ二分咲きだねえ、満開になったらまた来よう、なんて言って。それは叶ったんですよね。ほんとうに見事な満開の桜を、いっしょに眺めることができて、その数日後に逝ってしまった」
上沼さんはなつかしそうな顔をしてそう言った。
いまなら紫陽花かな、という言葉も添えて。
「でも入場料に400円取るんですけどね!」
ここでみんなが笑った。
泣いている者もいたが、それは悲しい表情のものではなくなっていて、どこか朗らかな顔に見えた。
「このあいだ、べべとよく散歩した道をクルマで通りがかって信号待ちしているときに、フロントグラスに見たことない虫が止まって。こっちを見た気がしたんです。目が合った。『べべ!?』って思わず言ったんです。青信号になったんで、じゃあね、おかあさん行くよって言ったんですけれども。ああ、べべだと思いましたね。おかあさんが泣いてるから来たんだよって」
どんな虫だったんですか、とぼくは水を向ける。
「ハエみたいなきったない虫でした」
ここでみんなが大いに笑って、でも愛しいですよね、ほんとうに、と全員がうなずいた。
もう一回だけ抱きしめたい
取材が終了し、上沼さんにお礼を言ってぼくらは立ち上がり、彼女が描いたべべちゃんの肖像画をもう一度見つめる。
水彩の美しさ。
一筆ごとに気持ちがこもる、おかあさんならではの絵。
「あれ、なんだか気持ちが楽になってきましたよ。みなさんと同じ気持ちだから、かしら。うん、こうやって話すのが大事なことかもしれないですね。これ、いちばんいいのかわかりません」
そう言って上沼さんは笑った。
そしてすこしだけ目を潤ませながら、最後にこうつぶやいた。
「ベベに、もう一回会いたいですね。もう一回でいいんです。もう一回だけ抱きしめたい」
だが、その表情に悲愴さは見受けられなかった。
純粋に会いたいという気持ち、ただそれだけの思い。
ぼくらはこれからもずっとあの子たちに心焦がれて生きていくのだろう。
でも、こうも思う。
そんな人生も悪くない、と。
あの日々は宝物として、いまも胸にある。
誰も奪うことはできない。
忘れることもない。
目を閉じれば思い出すことができて、それはいつでも色鮮やかだ。
上沼さんとべべちゃんが仰いだ、あの満開の桜のように。
それさえあれば、生きていける。
文/小西秀司(BUHI編集長)
▼YouTube「上沼恵美子ちゃんねる」に、愛ブヒのべべちゃんが登場したことも。
歴代の愛犬たちとの思い出を振り返る『上沼恵美子が犬と生きる人生について語ります』は必見です。
こちらの記事もチェックしてみてくださいね。
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