2018年12月26日5,280 View

愛ブヒの「名前」を呼べる・呼ばれるという幸せ

あまりにも唐突だけれど、少し想像してみてほしい。あなたは兵士で、今戦場の前線にいる。目の前に現れたのは敵の兵士。あ!と思って銃を構えたその時、もし相手の兵士が自分の名前を名乗ったら、構えた銃のトリガーを引くことができるだろうか。仮に彼が名乗らなければ、そこにいるのは「敵A」として認識すべき存在で撃つことだってできる。むしろ、この状況下においてはそれが正しいのかも。でも、彼が自分の名を名乗ったその瞬間に、目の前にいる人は「敵A」ではなく「誰かが愛しているであろう、そして誰かに必要とされているであろう存在」に変わる。つまり名前とは、命のありかを左右する、そんなものなのです。

一番最初の、そして最大の贈り物。

フレンチブルドッグ名前

Cookie Studio/shutterstock

名前。それは、私たちが自宅に迎えたフレンチブルドッグに一番最初に送るギフトであり、その贈り物はきっと、彼(彼女)らの一生の中でもとびきり特別なギフトになる。

 

その名を呼ぶことができる幸せを私たちは感じ、フレブルだって、ああ、 ボク(ワタシ)呼ばれてるや、早く行かなくちゃ。

 

なんて、きっと自分が必要とされている事実を実感できる。思えば、野良犬には名前がない。だって、誰も名付けようとはしないから。

 

もしも名前をつけてしまえば、そこには責任とか、使命感とか情だとか、そんなものが湧いてしまう。

 

そう、名付けには責任を伴うのだ。

 

だってもし名前を与えてしまったら、その瞬間にそれは単なる「犬」ではなく、「家族として迎え最後まで見とるべきひとつの命」になるのだから。

 

だからこそ、すべての動物は名前をもらうべきだし、特に人間とともに暮らし愛されるために、時には役立つために繁殖され命を繋いできた犬は、一頭残らず名前をもらい、愛され、必要とされてその生涯を駆け抜けるべきだと思うのです。

 

名前に込める、思い。

フレンチブルドッグ名前

Cookie Studio/shutterstock

相棒の名を呼ぶ時、なんだかちょっとテンションが上がる。

 

どこにいるのか見当たらなくても、その名を呼ぶとどこからともなく顔を出す。

 

例えば今の時期ならコタツの中からモゾモゾ這い出てきたりして。

 

そして少し話は脱線するが、フレンチブルドッグはフランス原産の由緒正しき犬であり、かのイヴ・サンローランが愛した犬種でありながらも、こと日本においては少しとぼけた名付けが主流である。

 

我が家も人のことは言えないが、知り合いのフレブルの名前を見ても「ちくわ」「黒豆」「ちょんまげ殿下」「じゅうべえ」「さぶろう」などなど、う〜ん、なんだろう、フランス感が1mmもねえな!!

 

でも、その名前の由来には、たくさんの想いや愛がパツンパツンに込められていることを知っている。だって、名前ってそういうものだから。

 

一見とぼけたネーミングでも、きっとたくさんの前向きな気持ちを込めてつけられた名前なのだろう。

 

だから、名前をもらう子たちの多くは愛されながらその一生を過ごす。そもそも、私たち人間だって名前がなければ「ヒトA」とかになる。

 

誰かに名前を呼んでほしい。

 

つまり、誰かに自分を認識して欲しいし、こういう人なのですと知ってもらうには名前は不可欠だ。

 

私たちに名前があるように、彼らだって思いを込めて贈られたその名を呼んでほしいし、名前を繰り返し呼ばれることで相棒となっていくのだろう。

 

だから、どうかどうか、すべての犬に名前がつく日が来ることを願うのです。

 

だって、もし仮に全部の犬に名前があれば、不要とされて彷徨うコは減るはずだから。

 

「名前をつけて、その名を呼んで、生涯愛する。」それができる社会が来れば、きっと寒い夜を彷徨うワンコはいなくなるはず。

 

流行の裏側には…

フレンチブルドッグパピー

Marharyta Lias/shutterstock

今やフレンチブルドッグは大人気。CMとか雑誌とか、様々なメディアに使われる“旬な犬”としてその顔を見ない日はありません。

 

でも、私たちブヒオーナーは知っているけれど、一緒に暮らすにはとても手のかかる犬種。

 

だから今、単に流行りに乗って飼ってみた人が飼いきれず手放したブヒがたくさんいます。

 

一度は彼らに名前を贈ったはずなのに、こうして流行りに乗ってすぐさま飽きた人たちが身勝手な理由で命を手放すのは言葉にできないほど悔しい。

 

でも、少しずつですが動物を守るための「動物愛護法」が改正されつつあることを知っていますか?

 

例えば、平成24年には「終生飼育」という言葉が明文化され、動物取扱業(いわゆるペットショップ)において、その動物の販売が難しくなった場合でも最後まで飼育をする環境を確保することなどが責務とされました。

 

また、最近では日本でも欧州に倣って仔犬の生体販売をNGとする動きが広がっています。そして私たち犬を愛するオーナー自身が、フレブルをはじめとする多くの犬が置かれている現状に気づき始めたことも一因。

 

別に大それたことはしなくても、多分こうして犬を愛する一人一人が声を上げること、彼らの全てに名前をつけて愛さる環境を与えるべきであること、どの犬も生まれたからには名前をもらう権利があること。

 

そういった“本来あるべき幸せ”に対して敏感になることが大事なのです。

 

平成最後の冬がもうすぐ終わるけれど、どうか新しい年号の時代が来たら、名前をもらえない動物が少しでも減ることを、ただ願ってやみません。

 

おわりに

フレンチブルドッグ問題行動

Mary Swift/shutterstock

ここ数十年の間でペットを取り巻く環境は大きく変わりました。ペットを家族として扱い、正しい飼い方を学び実践する人が増えたことや、動物に関する法律が良い方向に改正されつつあること、悪質なペット業者を排除する動きが顕著になってきたことなど、徐々に良い方向へと進んでいるように思います。ただその一方で、加熱したペットブームによって無理な繁殖を強いられる動物がいることも事実で、フレンチブルドッグも例外ではありません。自分が名前をつけたブヒを生涯可愛がること。そんな基本のことが、動物がより幸せに暮らせる世界を作る小さな一歩になるのです。

 

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