2025年1月10日1,473 View

犬の“本来の幸せ”について考えてみた

多くのオーナーさんにとって、愛ブヒはペットというよりも子どもに近い感覚なのではないでしょうか。我が子的存在、かつデリケートな犬種であるがゆえについ過保護になってしまうのはフレブルオーナーの筆者も同じくで、時々「過保護すぎかしら」なんて迷いが生じることもあります。昨今はアニマルウェルフェア(動物福祉)の考え方が浸透しつつありますが、あらためてその視点から、愛ブヒの犬としての本来の幸せを考えたいと思います。

犬の幸せってなんだろうか

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bozsja/shutterstock

 

お散歩中に藪の中に突っ込んで行ったり水たまりに興味津々だったりと、好奇心旺盛なフレブルたちはありとあらゆる場所に興味を示して近づきたがります。

 

けれど枝が刺さりそうで危ない、水たまりは不衛生だし泥んこになると後が大変などなど、ついストップをかけてしまうことってありませんか?

 

筆者はリードを引っ張りながら「だめ」と制するたびに、少しの罪悪感を感じます。

 

もし、自然豊かな環境で暮らしていたら、本能のままに草木が生い茂る森の中を駆け回れているかもしれないのに、と。

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kuban_girl/shutterstock

 

そもそもアニマルウェルフェアとは、5つの自由を守り動物に配慮すること。

 

飢えや渇きからの自由、不快からの自由、痛みや病気からの自由、恐怖や抑圧からの自由、そして、本来の正常な行動がとれる自由の5つなのですが、正しく愛ブヒと暮らしていれば、4つの自由は満たせていると思います。

 

毎日ご飯や新鮮な水を与え、落ち着ける空間を用意し、病気や怪我をしたら治療し、信頼関係を結ぶよう努める。

 

でも、「本来の正常な行動がとれる自由」に関してはどうだろう、そう自問してしまうのです。

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Tienuskin/shutterstock

 

犬と人間は最高のパートナーにはなれるけれど、人間と同じ価値観を持っているわけではありません。

 

犬としての幸せってなんだろうと考えた時、思う存分駆け回ったり獲物を追ったり、穴を掘ることも本能の一部であるという事実と向き合うことになります。

 

本能からくるこれらの行動を人間の都合で抑制することは、アニマルウェルフェアに反しているんじゃないか、なんてことを思うわけです。

 

本能を解放させる日があってもいい

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bozsja/shutterstock

 

本来の正常な行動がとれる自由がある程度本能を満たすことであるのなら、リードに繋がれた状態で人と歩調を合わせて歩く散歩はフレブルにとって物足りないかもしれません。

 

けれどノーリードなんてもってのほかだし、都市部に住む多くのフレブルたちは穴を掘るような場所もなく、せいぜい公園の鳩を追いかける(逃げられるけれど)ぐらいしかできないのが現実。

 

それに何より、やっぱり怪我や事故から守りたい気持ちが強いから、少しでも危ないと感じるものには近づけたくないのが本音なんです。

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Tienuskin/shutterstock

 

ただ、たまには広い公園や野原に連れて行き、いつものリードをロングリードに持ち替えて、好きなだけ走って転げ回り、泥んこになって遊べる日を作るようにしています。

 

もちろん車が立ち入れず、ある程度整備され危険が少ない場所を選んではいますが、この日は泥んこになってもいいし、枯葉まみれになったってかまわない。

 

アスファルトじゃなく土を踏みしめながら、思い切り犬らしく過ごす一日。

 

こんな日があるのとないのでは、フレブルのストレス具合も変わってくるように思うのです。

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Gryllus M/shutterstock

 

もちろん、毎日がこんな日だったら彼らにとって最高だろうけれど、そこは家族として暮らすもの同士、妥協点を見つけることも大事。

 

普段から自然の中をお散歩しているよという羨ましい環境のブヒもいるけれど、そうじゃないブヒたちも、たまには本能を解放させる日を作ってみてはいかがでしょう。

 

あくまでも犬であることを忘れない

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Firn/shutterstock

 

寒い日は服を着せてマフラーまで巻く。人混みではカートに乗せる。

 

これらは筆者が愛ブヒに対してやっていることですが、これも人によっては過保護だと感じるでしょう。

 

寒さや事故対策でしていることではあるけれど、確かに犬らしいことかと問われると犬らしい行動ではないですから。

 

ただ、ひとつ気をつけているのは、常に愛ブヒが犬であることを忘れないこと。

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Firn/shutterstock

 

フレブルって仕草や表情が人間の子どもみたいなのでつい脳内で擬人化してしまうこともありますが、やっぱり彼らは犬なんです。

 

だから暑さや寒さ対策以外ではなるべく裸でいさせる、迷子札などの目的があるもの以外のアクセサリーはつけない、動きを妨げるデザインの服は着せない、元気であれば歩ける場所はカートに乗せず歩くなど、本来の自然な姿や状態をなるべく保つことを意識しています。

 

短毛のフレブルではまず見ないけれど、時々愛犬の被毛をカラーリングしたり、散歩にドレスのようなお洋服を着せたりしている人を目にすることがありますが、それって犬にとってはうれしいことなのかしら? と疑問に感じます。

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Tienuskin/shutterstock

 

イベントなどでその日限定で被り物をしたり仮装して楽しむのはいいけれど、日常で犬を擬人化してオーナーの自己満足のためだけの装飾をするのはどうだろう、そう思うのです。

 

可愛がることや大切にすることと擬人化することをイコールと思わない、時には過保護になりすぎていないか自問してみる、これらのことは、愛ブヒのアニマルウェルフェアを担保するうえでとても大切なのではないでしょうか。

 

おわりに

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Branislav Nenin/shutterstock

 

大切だからつい過保護になってしまうけれど、犬である以上彼らには彼らの幸せや本能がある。

 

それを満たしながら、お互いにより良い関係を築くことができれば、それこそ人と犬は最高のパートナーになれるのだと思うのです。

 

 

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